兀狄山人漂泊録 GotutekiSanzin hyouhakuroku

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20170929-30 遺憾なり。初サイクル野宿

20170929-30 遺憾なり。初サイクル野宿

 はじめての、サイクルキャンプ?、バイクパッキング?に行ってきた。

中央線梁川駅まで輪行して、大月から富士吉田経由山中湖往復だ。
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 どうも、面白くない。
正確に言うと、『予想された、あるべき面白さを感じることができない』
 遺憾なり。不本意である。

 原因は第一には私固有の内的なもの。経験と実力不足と精神的傾向だが、とりあえずこれはそのうちどうにかできる部分はなるし、ならない部分はならないので捨て置く。

 考察すべきは、外的因子。自転車遊び特有の問題だ。
 山遊びは、万年初心者ながら30余年、それなりにある程度わかっているつもりでいるが、ロードバイクは今年始めたばかり、サイクルキャンプ?らしきものははじめてだ。
 さっさと考えて、自分の中での『自転車遊び』の位置付けをしなければならない。
 もちろん、やーめた、と云う選択も含んで。

以下、取り敢えずの仮説でR.

仮説命題;
自転車遊びは、自然のフィールドにおいてもあくまで、人工的、文明的、高度資本主義的、スポーツ=ビジネスモデルの営為である。

解説;
自転車は 『準備さえできていれば』なんでもあり だから、かなりしばりをつくらなくては、単なる過酷なトレーニングになっちゃう。
走ること以外に頭はいらない、体力勝負
よるでも走れるし。

だから、単純な達成感なら おおいに得られるけど。
山みたいに 『その場その場を試される』全能感を満足させる快楽=醍醐味にかける。いや、ほとんど無い。

今回も、完全に予想が外れ 滅茶苦茶遅れたのにも関わらず、根性で目的地についてしまった。
夜は走らないと決めていたにも関わらず。
山ならば、その前に別の宿泊先を決めるべきだった。
決め事を守らないのは、即、死につながる。

実際、暗くなってから 道の駅をパスした。
自転車ならではのおごりからだ。
歩きなら考えられない。 

これじゃ、たんなるスポーツと変わらない。
私はスポーツはしたくない。世棄て人故に。

帰りは同じ道下りで、ほとんどこがなかった。昨日辛いはずだ。
まったく、高度差を考慮していなかった。ド素人だ。

仮の結論;
 だから、しばりをつくって娯楽にするか、トレーニングと割りきるか。
どっちかがよさそう。

 野宿や、行き当たりばったり漂泊旅、と自転車は(今のところ)親和性がない。……ようだ……

 しばりってのは具体的には。
 普通の人の旅みたいに、前もって安全なコース決めてキャンプ場予約して……みたいな。
 
当面、輪行、整備された長距離サイクリングロード
、営業キャンプ場の『お子さま』パターンを目的にしてみるかな。。。?……それが、相応の楽しみか方だろう。

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 スーパーでめしをくって、石割の湯に19:40。21:00閉店ギリギリまで休んだ。
で、もう面倒になって、バス停のベンチでヘリウムビビィをかぶって寝た。
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 これが、大間違い。車が多くてうるさく眠れなかった。
 いやそれ以前に久々の、逆流性食道炎的な超胸焼けでよこになれなかった。
 胃カメラはなんともないのだから日々の生活で何とかするしかない。

 さらに朝起きるとタイヤの側面に画ビョウ刺さってるし……。
 めでたく、ロードバイクにて、初パンク修理経験でございます。
 手持ち予備チューブがなくなった。正直疲れた。楽しくない。帰ることにした。

 流石に早朝の山中湖サイクリングロードは掛け値無く気持ちがよかった。
 が、しかし、こんな、早朝から中国人の団体が写真を撮ってバンキョしていた。

 帰り道、道の駅のmont-bellの開店を待ち、ド高い予備チューブを買って一気に大月まで下り輪行して帰った。

次こそは、会心の遊びにしたいものだ。

兀狄山人記