兀狄山人漂泊録 GotutekiSanzin /Minimal Wild /Ultla Light/ネオBライフ/Hermit

世を捨て 人生から降り 晴歩雨読 無為徒食 兀兀騰騰 逍遙漂泊 無頼の忘備録

観念と霊 【散話selection/2014217】

観念と霊 【散話selection/2014217】
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追記201712;雑で舌足らずだけれど、魂・他者、スピノザ形而上学精神分析の橋渡し的メモとして、ママ残しておく。
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「死者は速やかに忘れ,速やかに人世をはなれ自然に還し、天地に合一せしむることを望む。」

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まだ直感だが、人々の記憶にあるかぎり天地自然に帰れないのではないかな?と、簡略に説明を

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柳田の話

近々の死者は個人霊、祟らないように手厚く葬る

→何代か経つと集合的祖霊=守護霊になる

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以後、管見

祖霊崇拝の背後にある精神構造は
祖霊⊂自然霊=カミ
であることは確実
↓↓
自然霊→神DsN(註記2017;スピノザ的神即自然)の観念的様態の素朴な表現、では?

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しかし、祖霊崇拝は現代では無理
直接、個人霊→自然霊

になる道が安心アンジン。

これはスピノザ哲学的には以下とパラレル。

反照のある(観念の観念=意識)ヒト特有の観念とそれに対応する延長→純粋な観念と純粋な延長

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以後がやや飛躍があるが、簡単に語ると、

小生の仮説
ヒトの肉体以外の側面(一般とはやや違うが精神'と言ってもいい)は、魂を核としてほとんど全ては多数の他者から出来ている

生者の精神'を構成する他者として存在を止めない。と言うことは、

観念の残照がある=純粋な観念に成りきれていない ↓↓
これに対して、忘れ去られる、と言うことは、

=観念の観念たることを止める=純粋な観念→純粋な自然=延長、すなわち観念が分離していない

別の言い方をすると、
死んでも、かって私の中にあった他者性は魂に、穢れとしてこびりついている消えない。
他者(2017註記;まだ生きている人々)の中のワタシ性(〃;死者の記憶)が消えたとき、
ワタシ(〃;死んだ人の魂)の中の他者は洗い流され純粋な魂になれる。

言い換えれば、

自然に還り天地と合一、した。

魂は失われた連続(〃;バタイユ)をとりもどし、愛憎は消える
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以上
兀狄山人記