兀狄山人漂泊録 GotutekiSanzin hyouhakuroku

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ヤマトタケルとサルタヒコの謎 続 【歴史】

ヤマトタケルとサルタヒコの謎 続 【歴史】

ヤマトという奈良県の一地方の田舎豪族に過ぎなかった 初代神武朝 天皇家 が最終的には日本を統一する…… 統一というのは言い過ぎではあるが…… までに勢力を拡張したのにはそれなりの様々な理由があるだろうが、基本的な構造としては 、現日本人縄文人と比較的早くに流入してきたユーラシア大陸の人々、そして先進技術を持って亡命または移民してきた新しい大陸系の人々、この三種の人々の統合と混血の促進の核にヤマトなるものがなり得たと云うことだろう。

そのストラテジーの一つに「降伏し帰順した敵を自らの軍として、別の地方の別の系統の敵にあたらせる」 という基本原則があると思う。

言うなればアウトサイダーをそのまま、マージナル(周縁部)な インサイダーとして中途半端に放置せず 、別のマージナルの アウトサイダー と敵対させることによりインサイダーとしての忠誠と帰属意識を持たせ、同時に領地を安堵し、中央には新たな税収を確立する『ズル賢い』政策である。

このときこの新たなるインサイダーたちは主としては、狂暴な侵略軍としてではなく、すでに侵略しているが不安定な土地への入植者として領土の政治的な安定化と、生産と、防衛軍として機能したのだろう。

この代表的な役割をした帰順したエミシたち。
これが佐伯なのだろう、そしてまた別に同じ役割を果たした、新たな大陸系の『サエの』帰化人たちもいたに違いない。
高麗郡に集められた旧高句麗人の集団はこれにあたるのではないか?

そして、ナチスドイツの電撃旅団的な、狂暴な侵略軍もいたに違いない。
これが、ヤマトタケル軍団であり、坂上(田村麻呂)党であると思う。
そもそもの軍事を司る氏族である田舎豪族大判氏にはとてもこの、残虐で狂暴で高速進撃の役割はできなかったのだろう。
家持は、開き直って越中で歌でも詠むしかない。

狂暴残忍電撃的破壊力高速移動力を持つものは、大陸の騎馬民族、狩猟民族であったのだと思う。
坂上党は、はっきり漢の亡命者である。
……では、ヤマトタケルとは何者か?も、多少腹案が無いではないが別の機会に。

話を戻す。
では、高麗郡地政学的に敵対するアウトサイダー=仮想敵国とは何か?
小生はサキタマ古墳を作った、謎の巨大王国こそ、それではないか?と考える。

たぶんアテルイなどとは違い、仮想敵国と云っても、交戦していたわけではなく、とりあえず友好的ではあるが油断のなら無い相手であるか、既に何らかの理由により解体してしまってはいるが残存勢力侮れずと云うことかもしれない。
坂上党との激しい交戦記録は無いようだ……。

さてここまで書いてしまうともう答は書くまでもない。
九万八千神社を氏神とするH家(話を聞いたお宅)は、そもそも高麗郡より古くここらに入植した初期ヤマトタケル軍の遺民なのではないか?

猿田彦がサエの神、道祖神と同一視されるのは、境界領土を守った、つまりサエの帰化系の部族の氏神だったからだ。

余談ではあるが、昨日も行った、「いるまの湯」の近くにある庚申神社も祭神はサルタヒコであった。
庚申信仰は江戸の流行り神で、もともと道教だとは思うが、庚申塚が道の境界や分岐点に作られるに従い、道祖神と習合し、さらにサルタヒコと同一視されることになったのだと推測される。(違うかな?)
まぁ、いい加減と云えばいい加減な民族である。我々日本人は。