兀狄山人漂泊録 GotutekiSanzin /Minimal Wild /Ultla Light/ネオBライフ/Hermit

世を捨て 人生から降り 晴歩雨読 無為徒食 兀兀騰騰 逍遙漂泊 無頼の忘備録

一遍上人【散話selection;20120225】【思想】

一遍上人【散話selection;20120225】【思想】
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昔のメールからの文。相も変わらず舌足らずな上に、早計で極論。
しかも、今は少しく考えが変わっているが、全く箸にも棒にもと云うわけでもないので録っておく。
20180222 兀

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○宗教的心理状態の目標、例えば悟り‐は、結局『失われた連続性の回復』言い換えれば『他の生物のように自然の一部になること』

○しかし、それだけなら単なる廃人だ。
獣の王と書いて、狂うだ。
そこの境地から(言語によって連続性を断ち切られた)人間社会に戻って来なくてはならない。

この、両世界の往復方法・或いは両立させる方法、に色々な宗教…そして、一部の哲学のバリエーションがあり、上等・下等がある。

○一遍まで来て、浄土思想は行くべき所まで行き着いた。

一遍の阿弥陀とはすでに世界そのもので、浄土とはそれに気が付いた今・この場所そこのこと、のようだ。

すでに、そこには人も無く阿弥陀も無く、ナムアミダブツの音だけが残る

1もなく2もない世界。
我執も無く、他も無い世界。

○これって、神即自然、のことではないか?

理性の認識を通して確信するか、南無阿弥陀仏の名号で盲信(失礼)するか、の違いだ。

南無阿弥陀仏とは象徴界に打ち込まれたシニフィエ無きシニフィアン

触媒としての呪シュ。

積年の民衆の盲信で鍛え上げられた、現実世界を無効化する鍵としての、確信の音オン…なのだろう。

○しかし、民衆とは自力の知力を持たないだけだろうか?

南無阿弥陀仏のオンに浄土を確信する、強い意志……いや浄土を夢見るイマジネーションすらもてないのでは?

一遍、或いは全ての善き宗教者の誤算と、あらゆる宗教の腐敗の原因がここにあるのではないか?

信じるということは、実は、それほど容易い事ではない。