兀狄山人漂泊録 GotutekiSanzin /Minimal Wild /Ultla Light/Hermit

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『人生は暇潰し』再論 【哲学】

『人生は暇潰し』再論 【哲学】
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繰り返し、人生には何の意味もないこと、即ち、人生は端的に暇潰し以外の何者でもないことについて。
再論いたします。

2018 02 02 暇潰し
http://gotuteki.hatenadiary.com/entry/2018/02/02/173918
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純化した論旨;
・人生は暇潰し、と云う命題に不快感を覚える人は、目的論者である。
・目的論は間違っている。少なくとも、不可知で根拠はない。
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少なくとも人間にとっては、世界の目的なるものが、あったとしても知り得ない。
もし、それが何らかの表象?として提示されたとしても(おそらくは)理解も出来ないだろう。
だから、目的と云う言葉が何を・どのような事態を表すのか全く不明で、理解しがたく、要するにナンセンスだ。
不可知な命題を前提とする体系は盲信であり、盲信は狂信に変わりやすく、共に悪しき宗教である。
・人には、宗教は必要である(だろう……)から、悪しき宗教は排除しなくてはならない。
・よって、目的論は排除されなくてはならない。

・人間にとって、世界に目的は無い、としか言い得ない。
世界のあらゆる事象・存在は、因果関係の結果として立ち現れているだけである。人間は世界の因果関係をほとんど知り得ない。
・よって、目的論に対蹠的(典型的に反対の位置にある)な論理体系である、機械論は論理的には正しい。
が、人間の宗教的世界観に資する為には種種の難点がある。
つまり、機械論は生のままでは悪しき『ニヒリズム』に直結しやすく、宗教的ではない。

(・その、難点を克服した思想が『スピノザ主義』である。……が、それはさておき)

・人間は、因果関係も目的も知り得ず生まれ死んで行く。その、不可解で無意味な「時間」を、たまたま意識して過ごしているだけである。
・その意識された時間を「暇潰し」と表現することは、適切だと思う。

・この場合、暇潰し、とは
事実でしかない何の意味もない『暇』を、如何に頽落タイラク(とりあえず、とりまぎれ時間を過ごすこと)せずに、能動的(スピノザの特殊な用法)に『潰す』か、と云う単なる事実の表記でもあり、積極的な問題提起でもある。

・『人生は暇潰し』と、認めることは、ニヒリズムの克服であり、積極的なつよさである。

続く