兀狄山人漂泊録 GotutekiSanzin /Minimal Wild /Ultla Light/Hermit

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類感呪術【思想】【散話】

類感呪術【思想】【散話】
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人間と云うものは、なかなか変わらないもので、今どきのそこらここらでもまだ 類感呪術と云うものは幅を聞かせている。

書いた字を見れば心がわかるとか、

部屋の乱れは心の乱れなどと、驚くべきことを言う人がいる。

それに、賛同する人もいる。

、、、、

字と心には何の関係もない
部屋と心には何の関係もない。
と云うか、ある場合もあるだろうし、無い場合もあるだろう。

関係があると云うことを言うなら、心は そのひとに関わる一切合切と関係ある。

それを、読み解ける専門家もいるにはいる。
正確には、高い確率で読み解く訓練を受けた専門家。

類感呪術のプロの魔術師と云うものは、昔から現代までいるのだ。

しかしながら、それは、あなた ではないだろう。

ただの素人にとっては、部屋からも字からも、何もわからない。

部屋をきれいにしたら、心がきれいになるわけでもないし、逆も同様。
部屋がすっきりしている人のこころに屈託がない訳でもないし、逆も同様。

部屋をきれいにしたら、心の乱れがなくなると云うのは、類感呪術だ。

あるものに働きかければ、似ている別の物にも同じく作用する。

藁人形に釘を打ったら、人が死ぬ。
と云うのと変わらない。

馬鹿馬鹿しい。と云うのが、まともな反応ではないか?

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漢字の字画の間に隙間を作る人は、だらしなく物事をきっちり計画たてて行えない人だとか聞いたことがある。

噴飯してしまった。

実は小生、ある時期より 漢字の字画に 隙間を開けて書くようにした。

理由は、褚 遂良チョスイリョウ(唐代の、書家。初唐の三大家の一人)に憧れたから、チョッとだけ真似をしただけだ。

字は人と関係はあるにしても、このように複雑なのだから、安易に 字画のすきま→心のすきま と類推するのは、かなり 頭が悪い。

このかた、王羲之を見たら、「はじめと終わりがいい加減なひと」とか言うのだろうか?

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一心にものを作る、考える、そう云う人の部屋は乱れていることは多い。
片付ける暇がないし、すぐにまた使うものをいちいちしまうのも無駄だから出しっぱなしが多くなる。
別に心が乱れているわけではない。

或いは、物事に鷹揚オオヨウで 多少のことは気にしないと云う場合もあろう。

整理整頓は良いことには間違いないが、それは次に使うときすぐに出せると云う以上の話ではない。

それ以上は、単に趣味の問題だ。

時間があり余って、特にやりたい事もないならば、おおいに一日中掃除と整理整頓と化粧とダイエットをして一生を終えれば宜しい。

暇なくせに、テレビばかり見て、化粧もせずに、さらに部屋がぐちゃぐちゃよりはよほど良い。

心が千々に乱れるのは、ひとつ執着のせいであり、部屋のせいではない。

心が乱れていて、とりちらかった部屋をただす余裕がないと云うこともよくあることだが、

心の乱れを紛らわし、隠すために一途に部屋の片付けをすることもありがちに思える。

要するに、正の関係があることもあれば、逆の関係があることもあるし、全く関係無いこともある。

たぶん、部屋の乱れは心の乱れと思い込みたい人は、部屋を過剰にきれいにして、己の心の乱れを否定したいのだろう。

心を乱す何かから、目をそらしたいのではないか?

己の心の乱れをなくすこと、即ち執着を離れることと掃除や整理整頓には直接の関係はない。

そんな簡単なことなら、あらゆる宗教は掃除ばかりしていればよい。

お掃除教。

まぁ、部屋の話はさておき、もし物への執着、人間関係への執着、命や健康への執着を離れることことがある程度出来たならば、

部屋の乱れなど気にもならないのではないか?

執着を離れれば、物も人も無く、まして乱れなどどこにもないのではないか?

ZEROに何をかけても、ZEROなのだ。

閑話休題、、、

とは言っても、山から帰ってすぐに寝てしまった、今日の我部屋の乱れは限度を超えている。

これなど、部屋の乱れは、山のおつかれ、かな?

砂でざらざらだ……掃除しなくては……