兀狄山人漂泊録 GotutekiSanzin /Minimal Wild /Ultla Light/ネオBライフ/Hermit

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重箱の隅 か 一事が万事 か? 【雑】

重箱の隅 か 一事が万事 か? 【雑】
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井沢元彦「逆説の日本史7」174ページ

「渇しても盗泉の水を飲まず(どんなに喉が乾いても人の水は盗まない)」という諺があるが、……

これは、困った、、、

トウセンは、固有名詞だ。論語だから諺でも無いような……

……ネットより引用させて頂きます。
http://kotowaza-allguide.com/ka/kasshitetousennomizu.html

【渇しても盗泉の水を飲まずの解説】
【注釈】 どんなに苦しい境遇にあった場合でも、決して悪事には手を出さないということ。
孔子山東省を旅行しているときに、泗水にある盗泉という名の泉のそばを通りかかった。孔子はからからに喉が渇いていたが、「盗泉」という泉の名を嫌い、「名前だけでも身が汚れる」と言ってその水を飲まなかったという。
その故事を晋の陸機が詠んだ詩「渇しても盗泉の水を飲まず、熱しても悪木の陰に息わず(喉が渇いても、盗泉という名のついた泉の水は飲まず、熱くても、悪木と呼ばれる木の陰では休まない)」に基づく。


と、云うわけで、「逆説の~」引用分はちょっと違う。

これを、重箱の隅をつつく、と云うのかもしれない。
が、事によったら、一事が万事なのかもしれない。

で、一事が万事、の話。

大昔に、高村某とか云う名の女流ミステリー作家が大評判であったとき、その中で
銃と、弾丸の口径が全く間違って書かれていたのを発見したことがあった。
よりによって、東西の正式銃の口径を間違って書いていた。

ん?なーんかへんだなー?と、ひっかかって、調べたらやはり違ってた。
銃好きなら、読み飛ばしていても、ピンと来るはずの常識。

これにより、以後この方の書いたものは一切読むのをやめた。
興醒めした。

例えば、大藪春彦がこんな、銃の基本的な間違いをするだらうか?
銃が正しければ、車も正しい、……以下同文
逆に、銃の常識がないなら、その他の知ったかぶりも底が浅い、知れたもの、とならざるを得ない。

つまりは、なにもかも調べて書いただけで、銃なんぞ好きでもなんでもないヒトなのだ。
そんなヒトの書くものはなら、他の事もほんとだか嘘だか解りはしない。
所詮付け焼き刃のお勉強にリアリティは無い。
絵空事は一角が崩れるともうおしまい。
夢を見られなくなる。

あ、池上某とかいったか?ニュース解説のうまいおじさんにもそれは感じる。
古今東西あらゆる思想家哲学者を解説する思想家?の物書きさん、名前は忘れた、……も同じく。
どうも、胡散臭い。
頭はイイのだらうが、信ずるに足らない。
何でも知ってるヒトって、実はマニアックではない。

ワタシは、マニアが好きなのヨ。
マニアの病的な偏愛の文章が読みたいのサ。

 ○ ○ ○ ○

さて、井沢さんも、同断か?
一事が万事、あてにならないのか?

いや、それは違うだろう。
単なる、勘違いか、うろ覚えだらう。

この人が、論語を愛読していないことはわかった。
たぶん、思想書も仏教関係書も調べてかいただけでジュクミガンドク眼光紙背に徹するほど愛読はしていないと思う。
仏教の解説部分はつまらなかった。
多分、この人は神の問題で悩んだことはないナ。
宗教のデモーニッシュが伝わらない……
時間的にも、エネルギー的にも人間には限界がある。
そもそも、この方は、『全く哲学的センスは無い』。
社会科学としての宗教は書けるが、切実な生きる問題としての形而上学は書けない。
そしてそれは、全く歴史家としての瑕疵カシにはならない。
むしろ、哲学的センスがあってはならない。

哲学者と云うものは、一種の異常体質で、哲学自体は特殊な名人芸なので、一般人に必要もなければ、本来の教養とはなり得ない。
哲学史は教養かもしれないが、プライオリティは低い。

歴史は全ての一般の民衆が知り、考え、身に付けるべき事柄である。
哲学とは全く違う。

だからこんなどうでもいい誤りくらいでは、この人の 日本史通史の価値は下がらない。

依って、これは、小生が重箱の隅をつついてしまった、と云うことで宜しい。

この、重箱の隅なのか、一事が万事なのか、と云う弁別は意外に重要だ。
それを見定めるのが、読書家の腕と云うものだ。