兀狄山人漂泊録 GotutekiSanzin /Minimal Wild /Ultla Light/ネオBライフ/Hermit

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コミュ障  【雑】【世捨て入門】

コミュ障  【雑】【世捨て入門】
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50数年生きてきて、自分がコミュニケーション障害だと思ったことはなかったのだが、最近わからなくなってきた。
と云う話。

 ⭕ ⭕ ⭕ ⭕

見知らぬ人とコミュニケーションをとることは不得意ではない。いや、むしろ得意な方だろう……
なにせ、30年水商売営業接客業で食ってきたのだ。

しかしながら、プライベートでは人間嫌いで出来れば人と話したくない。
話すと云うことは気配りをすると云うことで、もうそれだけで億劫なことである。
他人と話しても得るものは殆ど無いので鬱陶しく面倒に感じるし、集団には反射的に鳥肌が立ち、近寄ると嘔吐しそうになる。
集団を好む人間の精神構造は帝国陸軍を想起させる。
団体スポーツも大嫌い。自分でやりもしない球蹴りなどに喚声を上げる輩は思考停止にて嫌悪軽蔑以外感じない。
趣旨は賛同できてもデモも嫌だ。
幼少時から団体行動は苦痛。
虫でも鳥でも大量に群れたものは俄然気持ちが悪くなる。

その上、歴史から学べば、山本七平の言う通り
「人間の集団と云うものは、必然的に悪となりうる。」

とは云え、まだ完全に孤独ではいられないので、話を聞いてくれる腹の知れた他人が最低限いればありがたい。
もちろん、いなければいなくても大丈夫。
自分の学んだことや考えた説を一方的に教授するのは好きだし、自分の知らない専門的なことを体系的に教えてもらうことも好む。

が、しかしながら、ほとんどの場合他人の話は底が浅い聞きかじりで、独自の考察もなく、ニュースソースはあやふや、論理的整合性もなく、情報の量も質も低く、聞くだけ時間の無駄なことが多い。
その程度のはなしならタブレットを叩くか本を読めば事足りる。
同様にテレビや新聞は衆愚の極、電通&NHK(つまり経団連と政府)の洗脳検閲が行き渡る偏向した有象無象の戯言タワゴトだから見ない聞かないにしくはなし。
論理性のない感情論と独断と偏見ばかりの人々との話し合いは無意味、要するにほとんどのリアルな他人との言語的コミュニケーションは不要だと感じている。
小人養いがたし、いわんや……である。

 ⭕ ⭕ ⭕ ⭕

「コミュニケーションの大半は徒労でしかない。textを読め。」

よって、現実的に必要なコミュニケーション、例えば買い物、注文指示命令の授受、道案内、公的事務手続きなどを別にすれば、他人と接するのは貴重な時間と、精神的energyの浪費で人生の無駄遣い、苦痛である。

苦痛ではあるが、飯のたねとしてとらえて、やらなければならないから、なるべく簡潔にやってはきたので得意でもある。
腰の低さと傲岸不遜が同居している。公私の別だ。
腰が低く愛想の良いコミュニケーションが、
出来ないわけではないのだから、障害とは言わないと思ってきた。

苦痛なことを、生業にすることなどよくあることではないか?
労働は苦しいものである。

だから、コミュニケーション嫌いとコミュニケーション障害は全く別物だと思ってきた。

が、そうなのだろうか?
と、云うのは最近いろんなブログ(注記↓)を読みはじめてから、疑問がわいてきた。
雄弁で女性好きの方などは、小生のカテゴライズではどう見ても communication障害には入らないと思われるのだが、本人はコミュ障だと云うし、その言い分もあながち頭から否定はできないからだ。

つまりこう云うことだ……、
コミュ障とは、
「通常のコミュニケーション能力がない、コミュニケーションが出来ない」
ことだと小生は今まで理解してきたのだが、
最近の解釈では、
「コミュニケーションが苦痛で、嫌で嫌で仕方がないが、何とか自力で生活できている」
と云う事態をも指しているらしく、またどうもその定義は世間的にも通用しているらしいと気がついたのだ。


(注記↓)例えば、自称 コミュ障アラフィフおっさん 氏のブログ(「人生気ままB級グルメで♪~コミュ障アラフィフおっさんセミリタイア放浪記~」)


コミュニケーション嫌いは、すでにコミュニケーション障害なのだろう……か?

ならば、小生も立派な コミュニケーション障害 なのではないか。
小生の得意(?)なのは広義のコミュニケーションではなく、狭義の特殊技能「接客」の変形ではなかったのか?
つまり、人間として対等なコミュニケーションではない。
いつの間にか、お客様は神様になったらしいからね。
接客と思えば大半の対人関係は処理できる。
…………等々……疑問がムクムクと湧いてきた次第でR .

? ? ?……

まぁ、今となっては、集団に属する必要もないし、敢えて他人とコミュニケーションをとる必要もないので、最早、コミュ障だろうがなかろうが関係無いわけだ。

そして、簡単に、自分をコミュ障と云う、障害者と認める、要するに甘ったれた負け犬根性はやはり潔イサギヨしとしない気分はある。

とすると、つまるところ プライドの問題と云うことになってしまう。

どう呼ぼうと、柳は柳、松は松。

ならば、やはり小生の場合はやっぱり、
コミュ障では無いのだと思う。

自分の負の部分に「病名」をつけて、他者に慈悲を乞うがごとき行為は卑怯である。
強い人間なんぞいないのだ、強いふりを出来る人間がいるだけだ。と云う説もある……

泣くのが嫌さに笑って候。
人は徹頭徹尾独り。

ま、とりあえず小生の場合は単なる、人間嫌い、人類嫌い、と云うのがしっくりくる。
と、結局ぐるっと回って元に戻ったと云う、落ち。