兀狄山人漂泊録 GotutekiSanzin hyouhakuroku

世を捨て 人生から降り 晴歩雨読 無為徒食 兀兀騰騰 逍遙漂泊 備忘録

山室、常願寺川、雄山神社ポタリング【ポタリング】【旅】

山室、常願寺川雄山神社ポタリングポタリング】【旅】
f:id:gotuteki:20181012200824j:plain(雄山神社)
2018 10 12金曜

やっと雨が止んだので、午後から常願寺川を西の番の市営墓地へ墓参り。そのまま、岩峅寺立山雄山神社へ。
車では100回くらい来ているが自転車は多分初めて。

今まで気がつかなかった史跡の数々。
山室地区から常願寺川沿いの道は雄山と立山への参道、登山道らしく興味深い発見が多かった。

山室の鎮守 江口神社
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的場の清水 は、渇れていた。お不動さん。
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由来のわからない、疫神社。今は地蔵さん。疱瘡封じか?
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立山七社のひとつ タチオ神社。全然知らなかった。
西がわの奥へ200メートルほど。
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摂社は、水神社。暴れ川常願寺川のほとりには水神社が多い。
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太平洋戦争の砲弾と、日露戦争の碑がある。
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ちらと見えた、村の鎮守さま、八川神社へもご参拝させてもらう。
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西の番市営は、祖父母父の墓かあるが、地蔵堂はすどうりしていた。
……ん、建物には、観音堂と書いてあるのたが?
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墓地は、川ぎわへ左折するのだがその角にある寺も今まで素通り。慈眼寺は、やはり川の氾濫をおさめるためにあるとのこと。
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北アルプスの平湯、新穂高温泉から長い距離を流れてくる神通川と、立山連峰雷鳥沢から称名滝へとまっ逆さまに落ちそのまま海へ下る天井川にして暴れ川常願寺川
この二つの川に挟まれたのが、富山市だ。
富山市常願寺川の氾濫の度に水浸しになり多くの人馬が溺れ死んだ。
比較的穏やかな神通川は、神岡鉱山カドミウム汚染によるイタイイタイ病で名をはせた。

墓地は川の左岸に長く続く。
火葬場の裏が、ササナリマサの作った堤跡。
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しばらく左岸をさかのぼり、雷鳥大橋で右岸にわたり通行止めの河川工事用道路をすすみ、富山地方鉄道の小さな踏み切りの奥は、立山雄山神社の里宮。芦峅寺集落。
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北陸では一番大きな本殿とか。
昔、中学生か高校だったか大晦日夜中に友人らと来たのを思い出した。
本殿右奥の茂みに銘の石板が剥がされた?石碑があった。
多分、忠魂碑とか戦争関係の石碑だろう。
なんだか痛々しい。

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摂社にちゃんと タチオ神社があった。刀尾の神は剣岳の神だと云う。
雄山と剣は別と認識されていたのだろうか?
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なんと、江戸後期にすでに室堂まで一夏に7000人も登っていたそうだ!
そんな国日本だけだろう。
常願寺川を渡る途中振りかえる。立山は曇り、こんもりとした雄山神社の杜が見える。
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対岸の大川寺駅。昔、遊園地があった。今は知るひとも少ないだろう。
帰りは、左岸を大日大橋まで一直線。ゆるく下り勾配なのであっという間に帰宅。

三時間半ほどの自転車散策。

帰ったら即、手作り餃子を焼いてビールを飲んだ。
たまたま美人の従姉(over還暦)も来たので餃子を焼いて出した。
居候なので気をきかせなければならない。

以上