2022師走19日 広島大阪ノ旅 ソノ12. 四天王寺,御勝山,鶴橋
あけて19日月曜日、旅はココノカ目。
本日は連泊なので大半の無用な荷は置いて歩ける。
(A安居神社,B四天王寺,C御勝山 E宰相山,Fくら寿司今里店,G不動の湯
Thank You Google map )
そもそもベーシックウェイト(食料水など除いた重さ)で4㎏程度に切り詰めた荷だが、それでも半分くらいになったからホボホボ空身、楽~。
本日の予定は、茶臼山脇から逢坂へ、坂を登って四天王寺。四天王寺を抜けて西に生野区役所、隣の御勝山へ。ここで左折して北に、古墳(山)横の道をまっつぐに。鶴橋商店街を南のオケツから入って鶴橋駅前に抜け、すこし東にそれながら玉造日乃出通商店街をずーっと行って玉造駅。三光神社、宰相山に寄って玉造に戻る。西に向かって今里駅。今里筋をまっつぐ北上、第二寝屋川を渡って少し西の温泉銭湯不動の湯に浸かる。近くの鴫野駅から電車で新今宮駅に戻るころにはアタシも疲れていた······と、志ん生の黄金餅だね。
要するに、大阪城の西をふらふらと歩いて北上する予定。
━ ━ 四天王寺から御勝山 ━ ━
さ、出発。大きな通天閣を左に眺め新世界と茶臼山の間を抜けて25号線に出る。
これを渡って右折すると安居神社への細道発見。昨日読んだがわざわざ探すつもりもなかったがこれも縁。弓道場を抜けて幸村公終焉の地にて参拝合掌。
国道に戻って逢坂を登る。悪辣そうな豪奢な寺院や立派なビルのいならぶオフィス街の大通り。その間に渋い食堂。
そして、信号を無視して超過積載のアルミ缶収集自転車は行く!
朝の陽に 積んだ光背 アルミ缶
(無季、川柳?)
シュールがビビッドに追い付いた。悪くない光景。村野四郎の詩にこんなのがあったような、、、。
四天王寺の前に強力な個性の蕎麦屋。
「煩悩のかたまり」
ん?屋号?じゃない?開店前、残念。
次回は是非。
煩悩を 忘れるために 酒をのみ
四天王寺は外から合掌。
さて、大阪南西部には四天王寺を初め聖徳太子遺構が点在している。寺には興味ないが、太子には興味ある。いずれ点を繋いで野中寺まで歩いて、竹内街道と繋いで当麻まで歩いてみたい。
太子の輸入したころの仏教は既にお釈迦様から千年経ってね、般若系空思想から唯識法相まで出揃いむしろ哲学思想としては最末期を過ぎて枯れちゃて仏教は純粋に哲学思想としてはおしまい。その後発展を止めた。
宗教思想としては、異端百出変質を重ね密教などはむしろバラモン・ヒンズーに先祖帰り、タントリズムに堕すものさえでてメチャクチャ。
また中国にわたっては格義(老荘思想の仏教的解釈)だの、達磨の新志向ってか別の宗教じゃないの?ってのが好まれて、当然やがて権力と結び権力闘争で北宗禅に勝った単純な南宗禅が、おっちょこちょいの日本に伝わり、脳みその単純な武家の権力と結びますます弊害を広げ続ける。
一方仏陀より阿弥陀を上に置く浄土思想を愚昧な大衆にオルグした蓮如教団一向宗が反政府化してやりたい放題、昔からカルトっぽい法華宗も暴れまくり、いずれにせよ仏陀の教えからますます遠退いていく。
宗論はどっちが勝っても釈迦の恥
なんて、川柳がありますが、全くろくなもんじゃないスよ。坊主丸儲け。
一言で云うならば仏教の歴史は異端の勝利の歴史だそうだけど、ヒドイもんだ。
結局、組織的宗教は全て権力化と財の独占に堕ちる。
ま、太子や奈良だって結局そうなっていくのだが、このころはまだ権力闘争と宗教の構図がシンプルだったみたいな。
太子が龍樹、世親を理解していたとは思えないが、まぁとりあえず時代的には可能だったと云うおはなし。···どこが?
あ、また脱線が収集つかない。、、、
寺を抜けてそのまま真っ直ぐ西に歩くと広い勝山通に合流。少し行くと生野区役所、さらに歩道橋が御勝山古墳の前方後円墳の前方と後円を繋いでいる。
(途中、美味そうなテールスープの店真ん中、開店前)
憐れ古墳は勝山通りにぶった斬られている。
北の御勝山公園は多分後円部分で柵で囲まれて玄室でも保存されているのか、登れない。
ここも家々が周囲に隣接する外側をぐるっと回ってみた。西側にあずまや、東に少しばかりの公園がある。
歩道橋を渡った南の南御勝山公園は完全につぶされて全面公園になっている。多分こちらが前方部分なのだろう。
大阪や堺では家の真裏が古墳と云うのは珍しくないようだ。
歩道橋と山側の公園の滑り台の上から山を見るが全体像はしかとはわからない。
かくして、最後の大阪五低山も登れず、全体像もおぼろげ也。
結局、一応山らしい出っ張りは茶臼山だけじゃないかしら?
ま、いいか。洒落だ、洒落。
それだけ大阪はまっ平らと云うことなのだろう。
江戸は家康が権力を背景に無理矢理諸侯に命じ山野を削り川を付け替え谷や湿地を埋め立てた人工都市の面影を残している。
愛宕山にしろ飛鳥山にしろはるかに山らしい山でもあり、乃木坂欅坂かわいい桜坂は知らんな···動坂田舎神楽坂婆さん·····急な坂だらけでもある。
━ ━ 鶴橋から玉造 ━ ━
大阪五低山は終わったのだが、ここから最終目的地の不動の湯の途中少し寄り道をすると大阪八低山の一座宰相山と云うのがあるので寄って行く。
ついでに、あまり興味は無いけれど鶴橋商店街と云うのも通り道なので通っていく。
個人的には新大久保とかのコリアンタウンとか韓流に全く興味を感じない。偏見は無いけど興味もない。
食べ物もキムチやソルロンタンは好きだがトッポギや焼き肉はあまり好まない。色彩感覚は好きでない。あ、歌舞伎も美しいとは思わないので単純に美意識の問題。イデオロギー無関係。
そもそもを云えば、現在我が家の在はあおによし奈良の昔からの高麗郡で領主中山氏は丹党だからソチラの系統だと思われる。よって地元に多数残る白髭神社を探索したりもしたくらいで古代史的には興味深く嫌いではない。
が、近代現代現在に関しては紅旗青戎我事に非ず全く興味無し。以上。
(弥栄神社の岡御旅所?宿舎?)
(銭湯、開店前)
御勝山に沿ったうねうねして細い道をひたすら北上するのだが、何だかこの道昔の街道ではなかろうか?
なんとなく風格がある。すぐに弥栄神社岡御旅所(この時は弥栄神社知らなかった)と云うのがある。なんかの新興宗教の参籠所かな?と通りすぎる。
すぐに開店前の銭湯ある。
(噂の私設両替,神社と商店街助け合い)
ボチボチ歩くと、弥栄神社の気配がしてきたので寄ってみた。ヤサカ、ヤエ、イヤサカとも読むらしい。
ここいらが桃谷と云う鶴橋の南の土地で、弥栄神社は桃谷に千年以上前から鎮座まします由緒有る神社らしい。無知にて御免。
参道の先の商店街に結構な人混みが見られた。もちろん行かないけど。
仁徳天皇とスサノオが御祭神。弥栄と八坂、音は通じるな、本来別の意味だったのかも知れないな。。
ググると、ここは元は牛頭天王社だったらしい。さらに、先の岡御旅所は仁徳天皇の別宅(?)があったとか、御勝山古墳の参拝所だったとか、なかなかムー的なオモロー物件である。
またまた、ちなみに我が在にも竹寺と云うわりと有名な古い神仏混淆の元牛頭天王社がある。白髭大神の徒(高句麗からの難民)と蘇民将来・牛頭信仰は関わっているらしい。
か、疫病が流行ったので建立したのか。
先の四天王寺聖徳太子とのからみで脱線して勝手なことホザイテおくと、仁徳の時代は太子よりずーっとさかのぼる。
仁徳天皇と云えば難波宮(大阪城の隣でなくて上本町の高津宮)で応神朝(近江王朝)二代目だけど、この人もかなりキナ臭い。
そもそも崇神天皇系の仲哀天皇(をたぶんチョメチョメした)皇后の神功の子(竹内○禰だか誰の子かわからないと云う噂の)応神の二代目だけど、応神はいなくて仁徳朝だって説もある。
彼(仁徳)の弟が彼の兄を殺し、その弟が別の兄にあたる仁徳に王位を譲るために自殺なんて誰が信じる?
とにかく、神功応神仁徳はマジ怪しすぎる。
妊娠期間も摂政期間も長過ぎ、どう考えても何かある。
まぁ、結局仁徳系は青髭真っ青なサディスト武烈で絶え、今につながる継体天皇に系譜を変えるんだからザマーない。
ちなみに、神武、崇神、応神と神のつく諡号の天皇は、それ以前と血統が断絶している新しい系譜だ(そうだ)。
継体は一応応神と繋がってるらしいが、先代武烈とはかなり無理のある無理無理の遠縁だ。いきなり五木ひろしの福井県だし。
個人的には、神武以前のウガヤフキアエズ朝、葛城王朝、神武、三輪王朝近江王朝、継体以降の現在の天皇家すべて有りだと思っている。
ま、聖徳太子云々は継体以降のことだから仁徳は古い話ではある。
何れにせよ、神功応神仁徳は葛城はもとより九州や在日の反新羅の半島系民族と深い関係があるうだ。
勿論、それと鶴橋は関係無いと思う。
(鶴橋商店街の南端)
(興味深い家庭惣菜)
と、くねくね道をさらに進むとピッタリと鶴橋商店街の南のオケツにつうじていた。
はからずも観光客と正反対から鶴橋商店街に入り、鶴橋駅に抜けた。
中で唯一興味を引いたのは、家庭惣菜のような見慣れぬ惣菜店の品々だったが、どうせ一人では手が出せない。
商店街を出てなお真っ直ぐ進む。
(玉造日の出通商店街の南端)
JR大阪環状線をくぐり、斜めってる玉造日之出通商店街の南のオケツから入る。
ここは普通の日本の商店街だ。
宰相山は途中西側へ出るみたいだけど最後まで通りを歩くと玉造駅があった。
このあたりは幹線道路や線路と通りが直行してなくて歩いていると少し方向感覚が怪しくなる。
続く
兀