兀狄山人漂泊録 GotutekiSanzin hyouhakuroku

世を捨て 人生から降り 晴歩雨読 無為徒食 兀兀騰騰 逍遙漂泊 備忘録

墨東逍遙 【散歩】

墨東逍遙 【散歩】
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(三井家の神社にユダヤ秦氏の三柱鳥居)

2018 09 某日 曇り時々小雨なれど 墨東を散策す。

上野、田原町より、
厩橋 を渡って、駒形へ 初めてスカイツリー見物。
凡俗愚昧の群れバンキョ蝟集す。
たかだか高所見物に暴利も甚だし。
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隅田川と荒川に挟まれたこの地域は古くから開発さかんなれど地盤悪し。
ハザードマップにても危険地帯。
高層建築物多いは不思議なり。烏滸の沙汰ならんか。
墨東奇譚、荷風翁泉下にて苦笑ならんや。

電波塔 荷風は遠くなりにけり。
    ~~久々の 駄句なり。

押上駅から 小村井へ
小村井香取神社 (墨田区文花) を探す。
電柱の標識がおかしい?、随分迷わせられた。
剣の神様だから剣道がらみかと思ったが、本当に香取から移住した人達が勧請したという。
摂社として右後ろに三峯神社、左後ろに大きく諏訪神社
三峯講の熱心な信心か。大川の近くならば縁はある。
諏訪神社は、香取の神に敗れたタケミナカタを祀ったのか、別の理由か不明。
境内摂社には立派すぎる。合祀かもしれない。
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京島 から曳舟へ 京成沿いは庶民的。
昔ながらの キラキラ橘商店街 のおでんや焼き鳥にひかれたが我慢。
ちらと、見えた 高木神社 に寄る。
別名第六天 来歴不詳 魔王は不在?
……信長とは無関係だろう。
タカミムスビノカミを祀る珍しい神社。
縁結びで有名らしく🍙おむすび形の絵馬が沢山。
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向島 から、本所へ。
このあたりは、富裕な土地柄のようだ。
三囲神社ミガコイ は稲荷ウカノミタマを祀る、財閥 三井家の神社だ。
立派な稲荷と、歌碑句碑が沢山あり財と贅を誇っている。
其角(きかく)の「夕立ちや田をみめぐりの神ならば」句で有名だそうだ。
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ここで、驚くべきものを発見してしまった。
井戸に跨がる三本(三角、三柱)鳥居だ!!
太秦木嶋神社の三本の柱を組み合わせた三角の鳥居があるのだ。
秦氏がらみの、元糺の池(もとただすのいけ)にかかる三柱鳥居を模すこと明らかなり!
木嶋神社は大避神社のようにはっきりとユダヤ神殿の形式はないが、ここの三柱鳥居はなんらかのユダヤとの関連をしめしていると思われる。
大避神社ユダヤ教会説は学問的には無視されているが、
秦氏ユダヤ人、少なくともユダヤ系だと云うのは小生は有りだと思っている。 
小林ヤスコ氏の言うように、聖徳太子自体がペルシャ人だとまでは思っていないが、全く関係ないとも思えない。
太子のスポンサーの秦氏が、ユダヤか、改宗ユダヤなのはかなり有りうると思う。

と云うことは、つまり三井ははっきりとユダヤとの関係を認めていることになる(たぶん)。
日ユ同祖論等と云うとんでも学説はとるに足らないが、三井三菱がフリーメーソンだと云う都市伝説は必ずしもありえないことではない。

ひとつ注意をば。日ユ同祖論とフリーメーソンは無関係だ。
フリーメーソンは現存する。陰謀有りか否かは兎も角。
日露戦争の金をユダヤが日本への投資として出したのは有名なこと。
ユダヤだろうが日本人だろうが、金のためなら何でもやる人非人が商人の正体。
上品な顔をした獣666どもだ。
フリーメーソンでもなんでも有りだろう。

三井が今でも管理している、ミガコイ神社にはっきりユダヤ秦氏の象徴がある、、、
ちょっと、そら恐ろしい。

因みに、この三柱鳥居のかかる井戸から小生が連想するのは、イエスが飲んだ井戸の話だ……
帰ったら調べとこっ。
  →パレスチナヤコブの井戸だ。tablet便利!!

ここからは、妄想です、、、
ヒソヒソ(三井系の東芝の失態は、ユダヤ系の原子力会社(か、どうかは知らないけど、アメリカ自体がユダヤに牛耳られてるわけだから)を助けるための犠牲だとしたら?
彼らにとって日本は、家畜なのだ。普段可愛がっていても、腹がへったら殺して喰う為に飼っている。)ブツブツ

あー、あ、o(><;)(;><)oヤダヤダ 

……小生は柵を越え荒野に逃げた 黒い羊 と云うところか?……

ここまで、神社巡りをするつもりもなかったのに偶然行き当った。また、必然ならんか……
聞き知っていた神社は次の牛嶋神社のみ。
気をとりなおして、牛嶋神社へ向かう。

牛嶋神社隅田川に面し浅草の対岸なり。
なんとなく、牛頭天王との連想か、スサノオかな?
と思っていたら、ビンゴ。
偶然か、やはりスサノオノミコトだった。
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ん?牛頭天王は、蘇民将来だから、やはりユダヤじゃないか?? 
なんか、やだなぁ
アルカイダも嫌いだけど、ユダヤも嫌だなー。
ここは、水戸藩の屋敷跡だろ。
尊皇攘夷のおおもとじゃあーりませんか。
ユダヤなんか関係あるわけない。???
南無南無、、。

隅田公園 では、アル中らしきおじさんが気持ち良さそうにポケーッとしていた。
ー~あくせく謀ハカリゴトをして人を押し退け財貨を貪り憎み憎まれ心休まる暇もなく生きるより、無為徒食酔って死んじゃえば楽だよね。
どうせみんな死ぬ。それもまた一生。かめへんかめへん。

吾妻橋を渡り浅草へ。
何語かすらわからない、紅毛碧眼黒白の夷狄南蛮の狂乱の巷に辟易。
鬼門封じに鬼集まるとは此如何に。

天海も 外貨欲しさに 目をつぶり
   ~~またまた、駄句也、、、

あー、なんだかんだ5時間以上……疲れたなー。
散策おしまい。

兀 

草薙神社 静岡 草薙 【旅】【神社】

草薙神社 静岡 草薙 【旅】【神社】
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(御神木 楠 倒れて尚この品格)

2018 09 07金曜

さて、日本史上 神格化された有名な剣は2振りある。
これがゴッチャになることがあるようなので間違えないように。

ひと振りが、先日来の香取神宮の祭新フツヌシ神そのものでもあり、タケミカヅチスサノオが使った剣。
トツカノ剣=フルノミタマ フツヌシ 等と呼ばれる。
この剣は神になったり神を生んだり、ただの武器になったり話がかなり複雑錯綜していて呼び方も多い。一応この剣を「トツカノ剣」としておく。

もうひと振りは、アメノムラクモノ剣、後にクサナギノ剣と呼ばれる、皇室のレガリア、三種の神器の一つでもある剣だ。
スサノオがトツカノ剣でヤマタノオロチを切ったら、体内のこの剣にあたってトツカノ剣は刃こぼれした。
スサノオはオロチの身体からこの剣を取り出しアマツカミに進呈した。
後にヤマトタケルの反ヤマト勢力への侵略で活躍し、平家滅亡時安徳帝ともに海に消えた。
これは、「クサナギノ剣」としておく。

この2振りの剣に関しては、また別の機会に考察するとして、今回は クサナギノ剣 の方だ。

草薙の名の通り、ヤマト軍の平定と云う名の縄文人への虐殺と侵略時、彼らの抵抗により火をかけられたヤマトタケルが、この剣が自動的(!)に草を薙ぎ倒してくれて難を避けれたと云う謂れがある。

この火をかけられた土地が焼津だと思っていたのだが、実は複数比定地があり、その1つが東海道線静岡近く草薙駅近くで、その跡に草薙神社があると最近知った。

クサナギ神社は清水駅の北にももう一つあって、そちらは別名九万八千社。
前に書いた日高の九万八千神社と同じ名だ。

今回は時間の都合で草薙駅の草薙神社だけしか参拝調査出来なかった。

朝一番の電車に乗ったが眠くて茅ヶ崎で寝過ごし寒川まで戻ってしまった。
さらに、草薙駅も乗り過ごし静岡から引き返す……まったく……

草薙駅を降りると雨が降ってきた。
おかしな天気だ。
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草薙神社への道はわかりやすい。
龍勢と云う花火のようなロケットで有名らしい。
龍勢小鹿野の名物かと思っていた。
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神社は神寂びてなかなか良い感じ。
左手に弓道場がある。
祭りの用意か中にはパイプ椅子が並べられていた。
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本殿の左右に末社・摂社が並ぶ。
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左には、内宮社、賀神社、子安社、山神社、八幡社、
右に、一つ独立して天皇社、、残りはまとめて、読めないもの、天神、稲荷、厳島、白髭、愛宕、春日、住吉と無味乾燥なオールスター

天皇社は景行天皇だろう。
これは、駅近くにもあったらしい。
白髭神社猿田彦と書いてないのだから、それなりの理由があるのだろう。後世のものかもしれない。
賀神社とは、多賀神社か?

どちらにしても興味あるものは無い。
後世の府会のように思える。

この周辺の、ヤマトタケル関連の事跡があったが、どうだろう?
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こんな、狭くるしく、つまった場所で日本史に特筆されるような戦闘があったのだろうか?
小山の向こうが例の火討ちの草原だと云う。
このあたりは人骨もかなり出たらしいが、いつの時代のものやら。
とにかく、ここに限らず多数の場所で戦闘があったのだろう。

気になったのは、ヤマトタケルに冷淡だと思われていた父帝景行帝がわざわざここまで来ていると云う伝承だ。
祟りを恐れたのか?
それとも、記紀はわざと父子不和の情報操作を行ったのか?

記紀の記述とは異なり、クサナギノ剣は、最初この神社に納められ後に勅命により熱田神宮に移されたと云う。
ま、それは事実かもしれない。
そのあたりの青史の記述は不自然だ。
だとしたら、ヤマトタケル伊吹山でなく既にここらで亡くなっていたのかも知れない。

トニモカクニモ、この社がなんらかの歴史的意味を持ったものであることは感じられる。
幽玄な古社である。

来てよかった。

その後、沼津で娘と食事をして帰途についた。眠い。

兀<メモ>
2018 09 07金曜 静岡
東飯能05:51 -草薙駅 3350
 往復40 草薙神社
草薙11:59-沼津駅 <13:00 840
沼津15:33東飯能2270 / 6460