2018 09 02日曜 曇時々雨
先週から雨ばかり、東北の天気も悪く行く気も失せた。
鹿島神宮香取神宮に行こうと朝イチで出る支度をしているがどうもぐずついたり、どしゃ降りだったり。
いつまでもグズグズ待ってもいられないので、雨天決行で初めての鹿島神宮へ。
05:50の電車で大宮上野成田まわりで鹿島神宮へ。
時折雨。
佐原から鹿島線に乗り換えると無人駅がふえる。
ワンマンでも検札もない。大丈夫かよ?
・鹿島神宮
鹿島神宮は、運悪く祭りだった。
鳥居の中まで残念な露店がならぶ。
本当に祭りが嫌いなのに、函館に続いて祭りにばかり当たる。
雅楽がピー♪とかいってて、頭を下げろとかいろいろ言われたのでゆーとーりにしてた。
山車ダシとか現れると面倒だからさっさと拝殿の方に逃げた。
タケミカヅチ様は(出雲と同じく)横を向いてると云う話なので、本殿の横からお参りしたかったが、出雲大社と違い横には廻れない構造なので普通に正面だけから手を合わせた。
入り口、手水場の裏にスサノオノミコトをはじめ摂社がいくつかありその中心に 坂戸神社、沼尾神社礼拝所がある。
とても珍しい。
両者はともに少し東にある、鹿島神宮元宮と言われる神社だ。
出来るならば、折り畳み自転車をもってきて両社参拝したかったのだが生憎の悪天の為今回は断念した。
歩くと三時間はかかる。
息栖神社も行けないので、どっちにしろもう一度は来なければならない。
こことは別に、独立した摂社としてオオクニヌシノミコトの社もある。
タケミカヅチとは、因縁深いからまぁ当然だろう。
敗者への鎮魂と云ったところか。
・謎の神社
奥の院(と行っても、昔の本殿のイチクらしいからあまりありがたくない)、左に下って 湧き水と蕎麦屋のある禊の池へ往復、奥の院前にもどって右へ有名な 要石 へ往復……
が、普通のコースだが、要石前で 気が変わり
そのまま 奥の森から、恐らく神宮の外の道路までつづく小道をすすむ。
足首を蚊に喰われた。
歩道に出る箇所ほそっけなくなんの目印も標示もない。
神宮の外周に沿った道ごしに樹種はわからないがやたら曲がりくねった大きな樹がある。
樹のせいで見通しが悪くミラーが3つもついている。
その樹が遮る形でその向こうに不自然に小島のように古い社がある。
気になって行ってみる。
神社の名はない。
だが、左側に江戸時代くらいの石碑がいくつか並んでいて、庚申と猿田彦と読める。
さらに、安曇野以外では滅多にみることのないの双体道祖神だ。
間違いなく、ここは 猿田彦神社だ。
気比神社に続き、ここにも 不相応に大きな猿田彦。
しかも、どうも摂社あつかいでも無いらしい……
地図にも無く、入り口に社名もなく、社にすら名が無い。
しかし、どうみてもかなり古いし、あの曲がりくねった大樹も含め、道を不自然にしても、どうしても残さなければならなかったように見える。
鹿島神宮と猿田彦は小生の記憶の限り接点はない。
それは、気比神社も同じだ。
推察するに、猿田彦は、縁続きで設置されたわけではなく、何らかの役割をもってこれらの神のそばに祀られたものではないか?
喩えるならば、
重要人物の邸宅の前に警察の衞所があるように。
当然、重要人物同士に関連もないし、重要人物と警察に直接の関係もない。
あるのは、警護という役割だけだ。
では、いまの場合猿田彦の役割とはなんなのだろう?
……小生に、いくつか仮説はあるがまだ根拠が弱すぎるのでやめておく。
ひとつだけ、小生の全く個人的見解だが、記紀に出る猿田彦は「最期には粛清された、間諜(スパイ)のボス」の様に見えて仕方がない。
このあと、外周を入り口近くまで戻ると、伊勢神社というのがGoogleに出ていたので行ってみることにした。
が、これは拍子抜けで、かなり新しく遡ってもせいぜい明治か、下手すると戦後かもしれない。
隣に大きく月読ノミコトが祀られているのも、面白いというかわざとらしい。
伊勢神社の裏は大きな屋敷で表札は「鹿島」とあった。
フムフム
神社本丁への恭順の印かしら?
とりあえず、本日は祭りでもありこれ以上順路以外の森の中をうろうろするとやたら沢山いる暇そうな警察官に職務質問されそうなので香取へ向かうこととする。
続く
兀