UL懐古録15' 最初で最後のマタギ・キャンプ 【昔の山行 UL ウルトラライト 】
20150203?
この時期、耐寒実験がマイブームだったらしい。
かってから憧れていた、マタギ式のキャンプをやってみたようだ。
場所は、勝手知ったル、鷹巣避難小屋の先の原っぱの雪原。当然一人。
峰谷で一人バスを降り、黙々と登り、火を焚き、飯を食い、眠り、黙々と降りてきた。
無意味で孤独で過酷な徒労。
……マゾヒスティック・ナルチスティック~✨
焚き火だけで、雪の上のカウボーイキャンプ。
結局、とてもじゃないがこんな "がまんくらべ" みたいなことは二度とやっていない。
ここまで寒いと、焚き火すら指が焦げるほどに近づけないと暖かくない。
焚き火で、背中を炙って眠るなんて全く無理。
寝袋から出ることなんか出来ない。
飲む酒が飲む先から揮発していくように、食道と胃の先っちょだけチラリと暖めてくれるだけ。
ひたすら、シュラフにもぐり込み夜明けを待つだけの苦行。
詩的に表現するならば、
『炎も凍る』
そんな、寒さだった。
それでも、雪明かりのなか、月が山の上を移動する様や、風に揺れる切り絵のような木々の影を朦朧とした意識がストロボ写真のように切れ切れに追っている表象がハッキリと記憶に残っている。
あれはあれで、愚かではあるが、得難い体験だった。
『過酷な子宮』
残念ながら小屋には二人組がいたようだ。
暗くなって、こちらに気づいたらしくライトがちらちらとこちらを気にしているようだった。
来ないでくれ。と、祈った。
……人間なんかとと話したら、気分は台無しだ……
思いが通じたらしく結局顔を会わさずにすんだので、夜が明けると早々に撤収して降りてきた。
今回の目的は、凍えて眠るだけ。快晴の雪山は対象外。
実際の温度は兎も角、体感で自分史上最高に寒い一夜だった。
✳ ✳ ✳
はからずも、死と再生の通過儀礼じみたマタギごっこだったが、この後も何も変わらず、あいかわらず生活は混迷を極め今に至るまで改心の兆しもない。
ただ、良いことなのか悪いことなのかわからないが、
この後、冬になると、腕の痺れと背中の神経痛が不定期かつ原因不明に発症するようになり、このような無理は二度と出来なくなった。
一病息災。ってやつだ。
だから最早二度と出来ない、とても楽しい思い出、となってしまった。
第一、最早人だらけの奥多摩山域にて、徹頭徹尾人に会わずにキャンプ山行なんてできないのではないか?
たまにかっこいいことを言う。
別れた女たちの顔の記憶はどれもはっきりしないが、凍えた山の夜の光景は鮮明に記憶に残っている。
兀