受動意識仮説 雑感【雑】【散歩】
このところ、受動意識仮説なる教説について、あれこれ考えている。
……歩きながら、考えるネタには丁度良い。
昨日は奥多摩から飯能まで歩いて帰ってきた。青梅街道を青梅まで2時間?、青梅の交差点からは約3時間小曾木街道をテクテク、暗くなったのでゴミ処理場方面ではなく美杉台を通り、駅を越えた。……
(お泊まりSUL は、またも無用の飾り↑)
(黒沢の秋葉神社と八坂神社↑は祭礼でした。)
論理的な是非やら、精神分析や形而上学的な視点からの批判やら、倫理学的な評価やら、仏教思想との異同やら……。
小生の今のところの考えにては、この仮説自体は一定の評価をしている。
一定のと云うことは、批判すべき点も山盛りにあると云う意味である。
何より、心が何故作られたかの一定の説明はできたとしても、その心を抜きに我々を突き動かす「無意識」なるものの由来も正体も何もわかっていないのだから、結局せいぜいのところ、人間の謎をワンステップだけ解明したにすぎない。
⭕ ⭕ ⭕
それよりも何よりも、根本的な違和感は、
この説の作者や支持者たちの「この説から導く非論理的なまでに楽観的な世界観(人間観)」
ですよハイ。
仮説の是非と、幸福だの、人生論だの、道徳だのは全く別の話なのに、たいした論考抜きで簡単に楽観的な話が出ているのは不思議としか思えない。
さらに、非常に危惧するのは
「仮説から作ろうとしている製品としての心(AIだのロボットだの)への楽観視」
です。
なにやら、ターミネーター的ディストピアまであと一歩、みたいなねぇ~。
なにやら、このあたりの危うさは、オウムに理科系の秀才が多かったことを彷彿とさせる。
細かい、批評はまとまったら、別サイト「罔兩庵日乗」にでもupするつもりではある。面倒なのでやらないかも。
トニモカクニモ、
いやはや、未來はますますろくでもなさそうだなぁ~。
蛇足。
この先生と同時期に同じ学内に小生もいたらしい……。
なんともお恥ずかしい、月とスッポンを地に行った笑い話だこと(自嘲)
兀