兀狄山人漂泊録 GotutekiSanzin hyouhakuroku

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「西武の森」と「宝暦石橋供養塔」散歩 ,,200516

「西武の森」と「宝暦石橋供養塔」散歩 ,,200516

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05 15金曜
暑い。例の小径から太郎坊201地点へいくつもりが、ふと向かいの石仏の手前の小径を上ってみることにした。
どうせ、日高の住宅地に出るのだろうが、暇だから踏んでおこう。

と、これが、なかなかきれいに整備された場所に出た。 
ベンチやテーブルもあるし、ほとほどに刈り払いされている。
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が、hanmmocking にはどうだろう?
結構ヒトが通る、住宅地の上の方のヒトのバイパスになっているのだろう。

林道を上りきって降りるよりかなり近道になるのだろう。
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閑話休題、、、

ところで、高麗駅からのこの超傾斜地の住宅地は、
「東急こま武蔵台」だ。
昭和52年に東急不動産が供給したらしい。
が、ずっと不思議なのだが、そもそ犬猿の仲の東急西武。
その西武の牙城になぜだか東急の住宅地?

池袋線終点始発飯能駅秩父線高麗駅では終電時間も連絡も買い物も役所や銀行の便なども雲泥の差、その高麗駅からもとんでもなく登る。
決して便利とは云えない。

……飯能アルプスを越えてトウノス山にくまがでたと云うことは、熊はこの武蔵台をウロウロ歩いて移動してると云うことになる……

同じく山を削って作った西武飯能日高は隣になる…と、云っても入り口は飯能駅からなので全く違いへだたっている……は、かなり遅れて開発されたと思う。
こちらは、西武が深夜までバスを走らす等なんとか便宜をはかってはいるが、、、
続いて飯能駅南の入間川を越えた美杉台が売り出された。

小生、土地を探し歩いた時代、飯能日高も飯能美杉台も見たが駅から遠く、傾斜が急な高台にあり、商歩くのは無理。
とても東京まで通えないし、商店もほとんど無く、子供がかわいそすぎると思った。

駅まで歩けるのが、帰り時間の定かならぬ営業職の郊外住宅購入の絶対条件だと思った。
この田舎からさらにバスとは~。無理。

バスや車使うくらいなら、もっと東京(小手先とか所沢とか)の近くでマンションを買うしかない……ならば、縁も所縁もないこの土地に来る必然性も薄くなる。等々云々かんぬん、、、

……その、東急こま武蔵台に「西武の森」??
と、素直に疑問。

時は流れて……っことですかね?

――――――――――

話しを戻す。

西武の森は、すぐに武蔵台住宅地への出口があったが、
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(矢印地点。赤線はこのひの足跡↑)

手前で分岐して左折すると森の奥にも小径は続いている。
広場から薄暗い森の中に登っていく。

進むとまた、左に分岐1。 
とりあえず、真っ直ぐ
また、左にに分岐2。
真っ直ぐ、、、で、給水塔から林道への入り口の住宅地側の手前に降りる。なるほど。
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確認して引き返し、分岐2を引き返したので右折。
飯能側にぐるっと森を回り込む。
よく手入れされている。
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途中、多分分岐1からの道をあわせて下ると、案の定、石仏の奥の道に降りてきた。
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この石仏のあたりが変形五叉路になっている。
飯能日高の林道2。
本日登って、降りた線路側の森の道2。
そして、201地点へ登るトウノスの山道。
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と、するともしかしてここは西武と国道299より前の街道跡かもしれない。
ならば、この石仏も納得いく。

初めてよく見てみる。
向かって左側面はかなり風化している。
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  武?( )多?摩?郡河邊村
石橋供養?塔 願主 (シンニョウ?)全(?)

まず、「塔」?
うーん、武蔵国多摩郡河辺村
多摩郡って相模じゃないのか?
明治には神奈川県多摩郡だったはずだが。
ま、いい。
河辺村は青梅の河辺だろう。
今も飯能駅南口から青梅線河辺駅行きのバスはでているから、まぁ行き来が多かったのだろうが、ここに供養塔をつくるからには何か事件でもあったのか?
まぁ、普通に考えれば家族が行き倒れたのか?

願主 は読めないが、坊主の名か?

供養塔とすると、観音様かな……
なら、千手観音か。
石橋って、目の前のちっちゃい奴?
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昔はもっと川が大きかっただろうか。
今でもこのあたりは湿地を排水しているから、昔は雨の後は一面泥濘と川がまじっていたのだろう。

帰りかけ、ふと、年代が書いてないことに気づき引き返した。
木の影になっている右側に、こちらははっきり残っていた。
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寳暦十三年癸未歳正月吉日

すぐにスマホで調べる。便利ィ~。
宝暦は1751~1764    宝暦13年は1764
ミズノトヒツジは1763 
まぁ、そのあたり。
家重、家治の時代。
田沼が老中になるのは1767年から。
同じ年に、トウノスに墓のある黒田直邦が生まれている。

1764江戸大火 と、ある。
江戸の火事と飯能西川材は切っても切れない関係。

宝暦年間の事件で他に聞いたことのあるのは、
宝暦(竹内式部)事件
郡上一揆 など

ま、250年も世とヒトを見てきた石仏様に合掌して、帰宅。
踏み跡探検もそろそろ飽きてきた。