兀狄山人漂泊録 GotutekiSanzin hyouhakuroku

世を捨て 人生から降り 晴歩雨読 無為徒食 兀兀騰騰 逍遙漂泊 備忘録

埋め草 皐月12まで

埋め草 皐月12まで

山形の旅筆すすまず埋め草す。

卯月26日
藤の花。

飯能から高麗へ瀧不動の細い道をよけて山を裂いて作った299の新しい道。
寄生樹たる藤の樹が30メートルもあろうか木々の天辺までからみついている。
 衆人藤と云えば藤棚藤娘等可憐なるを想うだろうが、小生多年山を逍遥し思うに此花の沢の対岸高くまでからみつく寧ろふてぶてしく旺盛な寄生樹たる生命力に畏怖と少なからぬ嫌悪を覚える。
 白き鷺の大きなもの、野猿などと共に好ましからず。
 下界にても藤棚あとの汚ならしい豆のさやの萎びれた果てにも嫌悪を禁じ得ない。
 藤の花の可憐よりも旺盛過ぎる上昇志向と、その花の成れの果てはどこかヒトの世の或種の女性達を想わせる。
 盛りの花を見て、綺麗とばかりは言っていられない不気味さを覚えるのはヒトの世を知りすぎた老人の世迷い言なのだろう。聞き捨ててクダサレ。

卯月28日
トウノス山に早くもシャガの花。

奥武蔵の低山の谷に多くみる。
更に、鳩かと思えば何だろう?鶉の大きな蛙のような声の常には見かけぬ鳥もノコノコ散策す。写真は間に合わず。本当の良い瞬間に写真など間に合うものか、空々しく馬鹿馬鹿しいものしかバエてフレームに収まりはしない。軽佻浮薄の世に似合い也。

小生も鳥も花も皆季節感がつかめぬようだ。

皐月2日
大根漬け。春キャベツの千切り。日向小夏。小夏の皮砂糖まぶし。
ところで春キャベツは何故あんなに喰らえるのか?身体が求めるのか?丸一個2日で喰いきる浅ましき老饕ロウトウ也。しかも、マヨネーズ!品も何もない(笑)(笑)

今年の小夏は小さい。この蜜柑は品種改良ではなく偶然山中で見つかりその美味故にヒトが郷で増やしたそうだ。
白いワタ?が美味いので薄く皮を剥き割って食べるが、その無農薬の皮まで砂糖にまぶして食べるのは小生くらいのものかも知れない。
 柑橘類の皮は油も辛味も強い。山菜に似たデトックス感がある。
 マティーニにレモンピールも関係あるやしらず。

皐月12日。
時計回りに、蕪の漬物、スルメと煮干の酢漬け、老母手製伽羅蕗、製作途中の黒豆、蕪と奈良漬け、ビニールの中は老母手製奈良漬け。
こんなものが今では一番貴重に思える。
 まともな日本人にはなかなかに外食、買い食いで露命を繋ぐのはツライ渡世である。
 今年は大根が小さく、蕪が安い。蕪3個でたった¥150円。この漬物器いっぱいだったが漬ければこんなものである。
 漬物と恋はタイミングである。
 ・・・(恋は知らぬ、盛った(笑))
 自分で漬けると、もうなんとも論外異常言語道断車道横断に美味い。自然の乳酸菌だか何だかとにかく飯がすすんて仕方ない。
 水を切って冷蔵庫に入れると1日で旨味は消え、味の素をふらないと旨味は戻らない。不思議と云えば不思議、道理と云えば道理である。
 この手の漬物の難しさは、ギリギリ水に浸るほどの塩加減、容器の大きさ、呼び水の加減なだ。
しみでた水分から野菜が顔を出すとそこから腐ったり乾いたりして台無しになる。

それが、今では簡単に美味しく漬けることがアイラップによって可能になった。
 このビニール袋に野菜と塩を入れて空気を絞ってから口を結んで漬物器に仕込めば完了。
 旅の最中は、売ってる漬物でも我慢するが、、、
 
次で山形キャンプは書き終える予定。 

以上