兀狄山人漂泊録 GotutekiSanzin hyouhakuroku

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伊勢まいり旅費の分析

伊勢まいり旅費の分析

江戸川台末期の集団ヒステリー的なロングトレイルブームである お陰参り、お伊勢参り の費用を調べてみた。

結論 必要な旅費は300文9千円/日 総日数50日程度 最低費用50万円から。 
(実際はぼったくりと散財で80日間、100万円以上)

ちなみに2006年だと思うが、小生のきっちり40泊の四国巡礼通し打ち+高野山の旅はかなり野宿もあったが、往復と高い88の朱印料金含めて合計30万円以下だった記憶。
旅自体は1日5千円程度か。
現在も無料のキャンプ含めて平均4500円程度。

さて、考察。

まず、貨幣価値の換算難しい。当時は現在ほど貨幣絶対の世ではないので、わざわざ購入する品物で現在の貨幣に換算すると高くなる。
そもそもお伊勢参り自体がポトラッチ的な蕩尽としての消費活動なのだから、旅行が生活習慣に組み込まれた現在との比較は難しい。
ここは勝手に、自分の生活実感で比較する。

資料2からいく。
1文47.6円高過ぎ。15~30円程度
カケソバ16文761円高過ぎ、半分の24円でも¥384、30円で¥480円···高くてもこれくらいが限界ではないか?
しかも旅中では倍になるって、今も変わらぬぼったくり、、、
宿200文なら6千円。風呂食事込みならそんなものか。
土産1752文52576円と意外に少ないので無視して旅費に参入すると、1日415.9文12478円 かなり高く現在の観光旅行とかわりない。それが連続80泊とは、とんでもなく贅沢。

資料では、一文47.6円で総費用170万円だが、一文30円で計算すると

86日間 30×35771=1073130 円
まあ、どっちにしても当時としては論外な話だ。

乞食コツジキ托鉢の木賃宿にて、比較にならないが山頭火の日記によるとこれよりはるかに安い。

次に資料1から。
上記より一文30円として、
1日300文 9000円ならリーズナブルではないか?
仮に最低の旅行日数が、
片道15日+雨その他5日 往復40日
滞在7日計 ならば
47日×300文=14100 42.3万円
+土産と船や観光で5~60万円程度。

それ以上は、贅沢無駄づかい的な蕩尽として理解する。

以上

━━資料1━━
国土交通省 関東地方整備局 横浜国道事務所 ホームページより抜粋↓
https://www.ktr.mlit.go.jp/yokohama/tokaido/02_tokaido/04_qa/index7/answer7.htm

江戸周辺から伊勢神宮まではおおよそ一五泊程度の行程で、一九世紀半ばの段階では旅籠代は一泊二〇〇文程度が相場だったようです。また、昼食代は七〇~八〇文といったところでしょうか。この他、川越・渡船の運賃、一服した茶屋での代金、駕籠や馬の乗り賃が必要となります。
1日の必要最低経費を三〇〇文として、片道一五日の行程で最低四貫五〇〇文となります。「二八そば」というようにかけそば一杯が二×八=一六文であったことを考えると結構な出費であることが想像されます。
以下略

━━資料2━━
YAMAP 
毎日約40kmを歩く江戸の一大ブーム|伊勢参りでみた庶民の健脚ぶり【江戸のはるかなる徒歩旅】より抜粋参照 ↓
https://yamap.com/magazine/43949

前略

86日の旅。伊勢神宮から四国・中国地方をめぐった旅費の合計は、5両5貫771文(3万5,771文)でした。
歴史学者磯田道史氏が試みた賃金による換算レート(1文47.6円)を当てはめると約170万円となります。

支出で最も多いのは宿泊費で1万5,897文。総支出の44%を占めました。主に庶民が使う宿の旅籠(はたご)は1泊2食付きで130〜200文の宿が多かったそうです。

次いで食費が7,253文で、総支出の20%。当時の江戸ではそば一杯16文、うなぎの蒲焼が16文ぐらいだったのですが、国三郎の道中記録では、そばが32文、甘酒や白酒が15文、餅も15文程度と江戸より割高でした。

3番目は交通費で4,760文と総支出の13%

以下略