勘解由山again ,,200513
中山勘解由家範 の事跡に就いては検索して下さい。
中山家範館跡 の石碑が実に情無く飯能市中山地区にある。
所詮その程度の文化レベルだ。
メッツァどころの話ではない。
……北欧かよ?(古っ、笑)。
そこの説明書きに
中山館北の勘解由山云々、の記載と図があった。
唯一残る空堀跡も風前の灯。
この図では勘解由山の範囲がよくわからないが、(当然かっては無かった)宮沢湖周辺の小高い地帯一帯全てか?
或いは、その元は谷か沼であったろう現在の宮沢湖の南の飯能側(北は高麗川駅方面)一帯を指すものと思われる。
要するに、飯能駅南口からメッツァ(宮沢湖)へバスで向かうと目の前に見える小高い地域だ。
山と云っても明らかなピークはない。
地図で見る限り一番高い地点は高麗峠の付近176mだが、ここはほぼ西のはしだ。
屋敷の北に愛宕権現を祀り、とある場所はゴルフ場内の163m地点か?、169m地点か?、、、
わからない。
愛宕権現と十二社と加治神社裏の三十番社の関係がわからないが、十二社と三十番社は或いは同じもので元はこの地の産土神かもしれない。
多分この地に中山家が来るよりまえからあったものだろう。
とすると、愛宕権現(勝軍地蔵)はそこと合祀されたものか?
三十番社(加治神社摂社)の石碑(↓)に愛宕権現云々と刻されている。
が、愛宕山との関係は不明。
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閑話休題ソレハソレトシテ
宮沢湖周辺の……宮沢湖方面を……とか、この飯能市中心部北側と日高市の境をなす丘陵地帯の固有名詞が無く不自由していた。
本来の正確な位置はわからないのでもしかしたら、かなり範囲を拡大することになるとしても、この宮沢湖周囲の丘陵地帯全体の呼称に
勘解由山
を復活させてはどうだろうか?
どうだろうか?と、問うてもこの記事を見るヒトはいないし、非難するヒトもいないので、而後勝手にそう呼ぶことにする。
……勘解由山高麗峠を越えて巾着田に至る。
とか、悪くないのでは?。
兀